大原神社|安産祈願と産屋や伝承について

大原神社 京都府福知山市 安産祈願

地域に愛されてきた、新しい命見守る神社

三和町大原の地とその周辺

福知山市三和町は日本の山地特有の自然の中にあり、四方すべてを山に囲まれた、まさしく山里であります。
この地に生まれ育った者として、子供ながらに『ああ、あの山はきっと大昔の恐竜で、寝ている間に時間が経って山になったんだな』とばかげた空想をふくらませて楽しんでいました。それほどに山は身近であり個性的で、まるで人里を包み込むようにこの地に広がっています。季節ごとに表情を変える山、そしてその山々を縫う様に流れる川。それらは今も昔もこの地に生きる人々の感性や考え方に大きく影響を与えています。

大原の地は三和町でもより山あいにあり、緑の生き生きとしたところです。大原神社のすぐ側には町垣内(まちがいち:小さな集落)があり、その町垣内にそって小さな川が流れ、産屋があります。大原神社を訪れ、川沿いを歩きながら産屋に向かうと、まるで日本の昔を歩いている気分になります。昔の写真を眺めてみるとわかるのですが、その当時を十分に想像出来る風景がまだここには残っているからではないでしょうか。

大原神社<出産の聖地>

大原神社(京都府指定文化財)
所在地:京都府福知山市三和町大原小字ウラ山

大原神社は『安産の神様』として有名で、遥か昔から福知山市内はもちろん京都府南部、兵庫県と広く信仰を集め、今でも参拝は絶えません。
特に安産祈願の習わしとしての『子安砂(こやすのすな)』は有名です。子安砂とは現在でいうと大原神社の安産祈願授与品の中の砂の入ったお守りの事で、これを枕の下に敷いて寝ると安産すると伝えられています。無事出産がすんだ後には御礼参りをして子安砂を返納します。

江戸時代には子安砂の事を『守砂』と呼んでいました。1750年代から1850年代には伊予、薩摩、美濃からも公家や藩主から子安砂を求めて安産祈願の代参(代わりの者が神仏にまいる事)があった記録が残る程で、広く信仰されていたことが分かります。  大原神社周辺が出産の聖地とされるのは、産屋を含め出産にまつわる話が保存されているからです。それは町垣内、大原神社の宮司様、又郷土史にたずさわる人々の、保存し伝承していく努力によるものです。

大原神社の伝承

大原神社の創建については『社伝』によるものと『丹波誌』によるもの二説あります。
社伝によると仁寿2年(852)3月23日に三和町大原の地に創建されたと伝えられ、丹波誌によると創建は元社である美山町樫原の大原神社のことであり、弘安2年(1279)9月28日に三和町大原に移されたとあります。

神社に伝わる『大原神社本紀』によると、命を受けた春日神社の御祭神天児屋根命(あまのこやねのみこと)が新しい宮地(境内地)を探していたところ、大原山麓の水門(みなと)の淵から金色の鮭が浮かび出て、この地に鎮座を願ったとあります。大原の神様は黄色の牛に乗って大原に遷座され、その際についたとされる蹄跡が、水門(みなと)の淵の岩肌に凹みとして残っています。

応永4年(1397)に本殿、拝殿、舞楽殿が整いました(社伝)。
創建が二説あるのは元亀・天正の頃(1570〜1591)火災にかかり社殿、古記録ともことごとく焼失したためです。

大正頃の大原神社
大正頃の写真から起こしたイラスト

現在の社殿は寛政8年(1796)に建立されました。社殿は本殿と拝殿を相の間でつないだ連結式社殿で、立派で華麗な造りとなっています。
昭和59年に京都府指定文化財に登録されました。