場所:京都府福知山菟原下166川の上
目次
梅田神社について
創立は文治元年(1185年)
祭神は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)
彦布都押信命(彦太忍信命【ひこふつおしのまことのみこと】)
明治16年(1883)の「神社明細帳」には、天児屋根命・紀貫之(きのつらゆき)とある。
この近辺の神社には紀貫之の文字は頻繁にみることができます。
本殿は天保13年4月18日、燈火による火災にあいました。
それから再び再建され、嘉永元年(1848年)3月15日に式典が行われました。
5日間村中のお祭りとなって、皆で踊り、見せ物、出し物とそれは賑やかなものだったそうです。
昭和44年3月まで藁葺きの作りでしたが、藁葺き職人も少なくなってきたとのことでトタン葺きにかえられました。
集落の中でも低い位置にあり、川に近い位置にある神社ですが、大きな水害の際も不思議と水がつくことがありません。
梅田七神社
梅田七神社の根本にあたる神社で、広く丹波の地域に七社、梅田神社という名前の神社があります。昔の祭事では一晩かけて御輿を担ぎ、この神社の元に集ったこともあったようです。
秋の大祭
10月に行われます。20年以上前までは御輿を担いでいましたが、今は台車に載せて村をまわります。
基本的には10月9日に行われることになっていますが、昨今は日曜日に行われます。戦前は10月23日に行われていましたが、農作業の都合から9日に変更されました。
神社の銀杏
神社境内に1本の大きな銀杏の木があります。一時枯れかけた事がありましたが、治療が行われ、今は元気な姿を見せてくれます。
姫岩
姫岩と言われる岩で梅田神社のすぐそばにあります。
岩に耳を当てると機織りの音が聞こえて、それは御姫様の機織りの音だと伝えられ、女の人が神社への坂道でこけて手をつけば糸をそなえると言い伝えられています。
姫岩の由来は、神社を男としているからではないかと個人的には思います。姫岩の伝承はいろいろとあり、洪水の折、白い大蛇が村中を駆け回り岩に消えていったなどなど
河川工事が行われるまではそれだけ威圧感と存在感があった岩だったからだろうと思います。昔この岩の下はすぐ川となっており、岩から飛びおりて遊べるほど深かったそうです。